東京工芸大学工学部
基礎教育研究センター・物理教室
實方研究室(Sanekata Lab.)

当研究室のホームページは、現在作成中です。暫時、お待ちください!

<近頃の我輩、あるいはその研究室風景>
<近況☆雑感>

『広中先生の講演会@工芸大みらい博2009』

 丁度一週間前の土曜日(2009年5月23日)に、工芸大学ではじめての試みとなる教職員主催イベント『みらい博2009』が開催されました。 僕の所属する基礎教育研究センターもまた、未来を見据えた教育の取り組みをテーマに各教科ごとのイベントを行いました。 その中でもとりわけ目玉となるビックイベントが、フィールズ賞を受賞された数学者、世界の広中平祐先生をお招きしての講演会 『複雑と単純 −数学者の視点−』でした。 これはひとえに、広中先生とご面識のあった当センター数学教室の前原和寿先生 を通じての講演依頼の労、ご尽力大にして実現できたものかと大変感謝しております。 講演当日は、会場となった工芸大で最も大きな視聴覚教室が、学内教職員はもとより、 多くの学外来訪者の方々のご参加により会場は満席となる大盛況でございました。 僕自身は当センターの教員である立場上、センター主催イベントの裏方スタッフとして黒子に徹する義務がある訳ですが、 そうはいいながらも講演をご拝聴できることを、広中先生の講演会が企画会議の席で決定を受けたとき以来、心ひそかに楽しみにしておりました。

 人にはそれぞれ、さまざまな立場に応じた思い出があるものです。 僕にとって広中先生とは、学問分野や専門、立場やレベル等を度外視してもなお、 自然界と数学の関わりを生まれて初めて知らしめて下さった心の師であると思っています。 そう思うきっかけは、遡ること丁度僕がとある大学に入って間もない頃、広中先生の書かれた一冊の本とめぐり合ったことにあります。 高校時代には勉強した記憶など、ついぞ皆無に等しい僕でしたが、そんな僕も一念発起して理工系の大学を目指し猛勉強??(迷勉強)の末、 工学部系(本意では理学系に行きたかったのですが、当時の学力ではそんな贅沢はとてもいえない状況でしたので・・・(涙))の大学に 入学できた訳です。せっかく大学に入れたのだからと(笑)、学ぶことに少し欲も芽生えてきて、 大学時代に何かとてつもない科学や学問にめぐり会ってみたい、圧倒されてみたい、 そして叶うなら寝食忘れてそれに傾倒してみたいと・・・。 「そんなすごいことがどこかにころがってないかなぁ〜」と若者特有の現実味に乏しくて足元にそぐわない夢ばかりを懐いては、 先を見通す能力がないゆえの知的な飢えにさいなまれておりました。 その飢えは、大学で教わることを忠実に“勉強”して何がしかの成績をとることと、 自分が何かについて深く心底理解し、納得することとの間に、 まったく異なる充実感の隔たりを感じていたことに起因していたのだろうな、 と今更ながらに思えます(半可通な僕はその一致を得ておらず、ホントに面目ない次第でした)。 当時、工学部系の勉強内容に何かとても大切な根本や本質を考える余裕を欠いた各論と応用に終始している感じを覚えてしまい、 ひどく味気ないものに思えてなりませんでした。 そんな鬱屈した時期に「じゃあ、理学系の最たる数学ってなんなのだろう?」と、 ふと書店で手にしたのが上の写真にあります広中先生の一般数学啓蒙書『広中平祐の数学教室(上・下)』でした。 上巻を手にほんの数ページを読んだだけで本の中にぐぐっと引き込まれてしまい夢中になって読んだようなことを覚えています。 読み終えてみると、それまで自分が懐いていた“数学”感が、試験勉強を意識したテクニック然としたものであって、 自然界との接点や視野がどこにもないものであったことに愕然と気づかされました。 そしてまた、自然の中にひっそりと潜在するのであろう深遠な理に対しても、 自分がそれとまったく乖離したちっぽけな想像力しか持ち得ていなかったことに気づかされました (あれから大分歳月は過ぎ去りましたが、今もってさしたる成長はしておりませんが・・・)。 とりわけ、広中先生が本の中で紹介して下さったフィボナッチ数列黄金比の関わり、 そしてそれらと自然界のつくる渦巻き構造(銀河系、ひまわりの種子配列、樹木の分枝、貝殻の造形)の関わりの逸話からは、 何か人知を超えた万物創造の主あるいは隠れた全能がこの宇宙にはいらして、 このような自然美を創られたのではないか、っていう形而上学的な意識の芽生えを頂いたような(ちょっとSFの嫌いが過ぎた表現ですね(汗))、 また、ほんの数行からなる単純な数式だけで、それらの記述が適ってしまう数学の「力」を教えて頂いたような、気がします。 その後、そのことは当時の僕にとってよほど衝撃的かつ印象的だったのでしょうか、 コンピュータの実習授業のときなどは、課題のプログラム演習なんかはほったらかしにして、 当時覚えたてのFORTRANでフィボナッチ数列の出力プログラムを書いては、こっそり数百項目までフィボナッチ数列を出力して、 それを自宅に持って帰っては自室の壁一面に貼って、数学の描く宇宙にひとり浸っていたことなど思い出します。
さらにそればかりか、当時の僕はその後も広中先生の本の内容をよほど忘れられなかったとみえて、 大学四年生のときなどは実験系(分子分光学)の研究室に配属されたにも関わらず、 当時の指導教員の先生に、「僕は、量子化学的な分子軌道論をフィボナッチ数列的な整数規則性で表現してみたいのです・・・」 みたいな、今から思うと冷や汗の出るような訳の分からないトンチキなことを言っては、 先生から「ここは、そのような理論を研究する研究室ではないですよ」と一笑に付されてしまうこともありました (その話には後日談があって、実は1998年に愛媛大であった日本化学会第75回秋季年会での特別シンポジウム「 マジックナンバーに挑む-こだわりの記録-」で、 お茶の水女子大の細谷治夫先生(現名誉教授)が「d-軌道はなぜ5種類あるのか-パスカルの3角形との関連」という題の講演の中で、 フィボナッチ数列(グラフ理論)と分子軌道との関係性をユニークな説で説かれていたのをたまたま聴講する機会があり、 その時はフィボナッチ数列が実際に分子軌道論に応用可能なことを知ってびっくり仰天したのを覚えています。 そして、その数学的な美しさの一端が分子軌道論の中にちゃんと潜在していることを知って、 とても愉快な気分なったことなど思い出します)。

閑話休題。

今回のご講演でも、またしても広中先生は単純な問題の中にある数学的な美しさ、そしてそれと我々が生きる自然、社会との関わりを わかりやすく丁寧に説いて下さりました。特に、「閾の拡大」と学校教育の存在意義、次元問題における3次、4次の格別な難しさ、 そして自然界にみられる整数造形の美しさについてのお話には、またも僕は魅了されてしまいました。 広中先生は「“3”が難しいのですよ! でも、どうしてそんな難しい“3”という数が、 ごく当たり前のように自然界の至るところに現れ溢れているでしょうか? まだそれを誰も説明できないなんて不思議ですね!」と、 広中先生が非凡かつ偉大な数学者であるがゆえに、この不思議に対する格別の素直さに驚嘆してしまいます。 どれだけ素朴に、どれだけ単純に、どれだけ素直にこの自然を不思議がることができるのかは、 その問いが根源・根本に近くなればなるほど、誠にまったく扱い難くなるというのにですよ!! 一見して簡単に思える、そんな単純な問題こそ実はとてつもなく難しくて、 そしてそんな単純な問題の中に自然界の美しい姿が潜んでいることを、再び広中先生から教えて頂いた思いで一杯です。

(2009年5月30日の記)
<過去記の庫>
 
2008年5月19日の記  
2007年6月28日の記  
2007年4月5日の記  
2005年12月29日の記  
2005年8月1日の記  
2005年5月24日の記  
2005年3月24日の記  
2005年3月5日の記  
2004年12月27日の記  
2004年8月17日の記  
2004年7月3日の記  
2004年6月11日の記  
2004年3月2日の記
<よみもの抜粋録イン通勤図書館>
 通勤での乱読遍歴の忘却をわずかでも阻止しようという恥ずかしくも他愛ない試みですので、何分にもご容赦くださいませ。 脈絡のない読書がたたって、同じ書籍を二度購入してしまうこと幾度。こうでもしないとまた読書中に、 「おや、この文面は!?..」みたいなことが起こってしまうもので・・・。
(2008年6月28日の録)


問い合わせ:實方 真臣(Masaomi SANEKATA)
電子メール: sanekatagen.t-kougei.ac.jp

HOME                                  当ホームページの作成日:2004-3-8