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○『高村光太郎詩集』 高村光太郎著(2008年6月28日読了)
あたりまへな事だから あたりまへな事をするのだ。 空を見るとせいせいするから 崖へ出て空を見るのだ。 太陽を見るとうれしくなるから 盥(たらい)のようなまつかな日輪を林中に見るのだ。 山へ行くと清潔になるから 山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。 海へ出ると永遠をまのあたり見るから 船の上で巨大な星座に驚くのだ。 河の流れは悠然としてゐるから 岸辺に立っていつまでも見てゐるのだ。 雷はとほうもない脅迫だから 雷がなると小さくなるのだ。 嵐がはれるといい匂だから 雫(しづく)を浴びて青葉の下を逍遥するのだ。 鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから 桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。 死んだ母が恋しいから 母のまぼろしを真昼の街にもよろこぶのだ。 女は花よりもうるわしく温暖だから どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。 人間のからだはさんぜんとして魂を奪ふから 裸という裸をむさぼって惑溺するのだ。 人を危めるのがいやだから 人殺しに手をかさないのだ。 わたくし事はけちくさいから 一生を棒にふつて道に向かふのだ。 みんなと合図したいから 手を上げるのだ。 五臓六腑のどさくさとあこがれとが訴へたいから 中身だけつまんで出せる詩を書くのだ。 詩が生きた言葉を求めるから 文ある借衣(かりぎ)を敬遠するのだ。 愛はぢみな熱情だから ただ空気のやうに身に満てよと思ふのだ。 正しさ、美しさに引かれるから 磁石の針にも化身するのだ。 あたりまへな事だから 平気でやる事をやらうとするのだ。 最近、地球や自然環境のことも、人の関わるさまざまな出来事についても、 少し前まで当たり前であった多くのコトが急激に当たり前でなくなって来ているような気がしてなりません (脚下照顧、まずは自分自身が当たり前かどうかもあやし・・・)。 当たり前がずっと当たり前であり続ける(あり続けられる)ことのもの凄さを、 高村光太郎はありったけの力を振りしぼって人々に伝えようとしている。 歯が痛くなったときになってはじめて、いつも当たり前のように甘いお菓子を食べることができていたのをうらやましく思う。 風邪で高熱を出し前後不覚の状態で家で寝ているとき、 いつも当たり前のように外出してショッピングを楽しめていたことをうらやましく思う。 腰を痛めてはじめて、いつも当たり前のように不自由なく階段を上り下りできていたとことをうらやましく思う。 のどが渇いて自販機でミネラルウォーターを買おうとしてたまたま10円玉一枚の持ち合わせが足りなかったとき、 いつも当たり前のように自販機でミネラルウォーターを買えていたことをうらやましく思う。 私たちの共有する当たり前は、いつまで当たり前たりうるのだろうか? まずは、ストレートにものを見てみる。 そうすれば、光太郎のように少しはその当たり前の本質に気づくこと、叶うのでしょうか。 |
○『東京ファイティングキッズ』 内田樹・平川克美著(2007年7月5日読了)
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○『ワープする宇宙』 リサ・ランドール著(2007年7月16日読了)
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○『聖餐城』 皆川博子著(2007年7月15日読了)
以前、インターシティのコンパートメントでたまたま同席したドイツ人夫妻と車内の会話がはずみ、 終着のハンブルグでホテルを探してもらったり、ブラームス・ケラー(ハンブルグ大学の横手にあったかな)で、 食事をご馳走してもらったりしたことがありました(確か、奥方がハンブルク大学で心理学を学ばれた心理学療法士で、 ご主人の方が手作り家具職人の方でした)。ご両人ともユダヤ系の方で、さまざまな歴史的なお話をお聞かせ下さり、 またハンブルグのシナゴーグ跡(第二次大戦時に焼失)を案内して頂いたりしました。杉原千畝の功績から、 一般のユダヤ系の方々が、日本人に対して非常に好感を抱いて下さっていることを、 このとき身をもって体験することができ、非常にうれしかったことを覚えています。 |
○『ゲーテの言葉』 一校舎比較文化研究会編(2007年7月12日読了)
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○『隠れたがる自然』 シモン・マリン著(2007年7月11日読了)
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○『日本刀』 小笠原信夫著(2007年7月9日読了)
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○『地球持続学のすすめ』 武内和彦著(2007年7月8日読了)
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○『<節度の経済学>の時代』 内橋克人著(2007年7月7日読了)
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○『先生とわたし』 四方田犬彦著(2007年7月4日読了)
で、師匠といえば、 工芸大に来るまでにこれまで僕が師事してきた師匠五名は、いずれ劣らず研究、科学に命を賭した猛者ばかりでした。 そして当時助教授だった先生も、教授だった先生も、みな偉い先生となった今も、現役バリバリの実験研究者ばかりです。 学会で、ドクターコースの時の指導教官の先生にお会いすると、いつも「いま夢中になっている実験」のお話を、 少年のような愉しげな面持ちで、お聞かせ下さります(なにせ、国立大学評議委員となられ多忙を極めた今でも、 正月休み中から自ら装置の火入れをして初実験を敢行されている、との話には脱帽するしかございません)。 こんな至らない僕を指導してくれた師匠たちのことを思うと、 いつまでも、こんなぐーたらな研究をしていては、罰が当たっちゃうなぁ・・・。どうにか、しないとね! それと本書の中に書かれていたように、はるか昔に由良先生が東大で赤塚不二夫作品を題材として試験をされていたのは、びっくりしました。 実はちょうどここ半年ほど、『天才バカボン』を読みたい読みたいと思っていたので、 このこと知って誠にうれしい限りです(文庫版が見つからなくて、志は頓挫していますが・・・)。 先入観に囚われず、色眼鏡で(赤瀬川さんの表現を借りれば「ウロコのついた目」で)物ごとを見ない、とはどういうことか。 “タブラ・ラサ”であるには、人はどう振舞うべきか。子どもの時にTVアニメを見ていても、まったく気づかなかった偉大なるヒントが、 きっとそこには描かれているはずだ。早く、読んでみたい。 |
○『入門!システム思考』 枝廣淳子+内藤耕著(2007年7月3日読了)
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○『日本男児』 赤瀬川原平著(2007年7月2日読了)
また、仕事の上でも、 欧米人のように一事一事についてロジカルに詰めて議論しながら進めることに適さない(または慣れていない、あるいは苦手な)日本では、 ロジックの代わりとして一定の成果やミスを防ぐために叱る/叱られる関係に基づいたテンションの存在が、至るところにあったような気がします (宮大工をはじめ世界に冠たる日本の職人技・芸の仕事ぶり(かつての徒弟制度も含め)を思えば、至極当然のことでしょ)。 そんな日本で「ちゃんづけ」仕事をしていては、いい意味でのテンションすら保てないでしょうなぁ・・・ (アメリカ人の場合は、はじめにロジックありきのコミュニケーションなので、映画やドラマのように上司と部下がファースト・ネームで呼びあっても、 十分に仕事は成立するのですよ)。 |
○TVドラマ版『バンビーノ(最終回)』 せきや てつじ原作(2007年6月28日放映@日本テレビ系)
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○『「縮み」志向の日本人』 李御寧著(2007年6月25日読了)
ともあれ、日本の諸道に見られる「礼儀」も、「型」も、「構え」も、「正坐」も、あるいは漢字から仮名を編み出したことも、 伝統工芸にみる職人技も、そして最近のマンガ、アニメ、ゲーム等のJサブカル系のネオ職人技も、おまけ付きお菓子の文化も、 携帯電話の新機種にみる続々リリースも、小型車・低燃費車のエコ自動車の開発も、さらに専門職科学技術研究たるナノテクも、 ぜーんぶ日本人が得意とする「縮み」文化の現れし一端なのだ、とね。よーく、納得できました。 「縮み」は、時間空間的な「短小短縮化」、「効率化」、「高密度化」、「高精度化」、に等しきなり。 スモール・イズ・ビューティフル。ちひさきものはいとうつくしきもの、かな。奈乃阿弥より |
○『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一著(2007年6月19日読了)
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○『錯覚する脳』 前野隆司著(2007年6月18日読了)
追記:波動関数収縮を観測する簡単な実験方法は、日経サイエンス(2007.8月号)の記事『“量子消しゴム”実験』をご覧あれ。 また、波動関数収縮と観測問題ついては、デイヴィッド・ボームの量子論に関する著書に詳しい。(2007年7月4日おつけ) 追々記:先日、卒研生の平澤君と水島さんと同じ実験を試してみたところ、(なかなか難しい実験ですが)スクリーンの手前に目の焦点を合わせて、 じっと目を凝らして見れば、3枚目の偏光板の0⇔π/4⇔π/2回転にともなって細かな干渉縞が現れたり消えたりしているように見えました (見えたような気がする・・・)。(2007年7月11日おつけ) 追々々記:気になっていたので、また性懲りもなくやってみたところ、3枚目偏光板透過軸のΔθ=π/4で、 重なり部分の干渉縞は非常にきれいに見ることができました。実験条件は、以下のとおり。 赤色レーザーポインター(LR)のビーム孔径:φ1mm、ビームセパレータ(BS)(クリップ使用):φ1mm、LR-BS間距離:50mm、 スクリーン(SC)に紙を置いて、LR-SC間距離:200mm、 経路リペラー(2枚目の偏光板)を透過した2ビームの重なりでできるゾウリムシ型スポットのサイズ(p.82の実験2):20mm×5mm、以上。 興味のある方は、さっそく試してみよう!しかし、こんなにもきれいに量子干渉縞ができるのなら、何か自分の研究にも応用できないのだろうか?! (2007年7月13日おつけ) |
○『工手学校』 茅原健著(2007年6月10日読了)
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○『間の取れる人 間抜けな人』 森田雄三著(2007年6月9日読了)
剣道でもこの「間」のとり方、すなわち「間合い」は技を決めるための大切な奥義となりうるもの。 なぜなら、もしも戦場(いくさば)で、この「間合い」を読み違えて対戦でもしようものなら、 確実に一刀の下に切り捨てられてしまうのだから・・・・。 剛の者かどうかを読みきれずに、「間」違った「間合い」をとってしまうのは、愚か者。すなわち、これを「間抜け」と申すのでしょう。 人間関係において、「間合い」が近すぎるのも馴れ馴れしいし、 また「間合い」が遠すぎるのも臆病なのか猜疑的なのか、人に取りつく島を与えないし・・・。 要は、「間」のとり方っていうのは脳の高次機能をフル回転させなくては得られない難しい判断のひとつ、と思っていれば、 まずはよろしいでしょうか。確か、かのハーバード大学では、ハーバードの卒業生に要求される全人的な資質として、 最も大切なことは「どのような相手とも、適切な会話をできること」、もっとも恥ずべきことは「その場に、不適切なことを問うてしまうこと」、 とされていると、どこかで読んだことを記憶しています(つまり、自分の狭い土俵の上でしか話のできない奴に用はない、ってことですか)。 そう考えると、まさにハーバード大学の教育は、幅広い教養によって裏づけられる「間合い」取りのための教育といっても、過言ではないのでしょうか。 |
○『自由と繁栄の弧』 麻生太郎著(2007年6月8日読了)
最近、僕は(愛好家とはいえないまでも)かなりの種類のマンガを“読む”ようになりましたが、 この著書の中で麻生大臣が紹介しているマンガには、僕自身まだ読んだことのないものも多く、 今回自分の不勉強さを改めて痛感した次第です。 望むべきは、Jサブカル系の学系を有し、そのメディ教育を標榜し邁進する工芸大にこそ、 麻生大臣のような方に一度是非ご来学頂き「外交からジャパニメーションまで」を全学特別講義としてレクチャーして頂きたいものです。 そのときは是非、ひとりの学生となって、聴講させて頂きたいと思います。 麻生大臣の文化外交の今後のご活躍を楽しみにさせて頂くとともに、 ジャパンカルチャーを理解し、愛することのできる粋な平成の白洲おじ様、 また文化形成・文化運動の推進役を務められる現代の本阿弥光悦様としても応援しておりますので、がんばってください。 |
○『とてつもない日本』 麻生太郎著(2007年6月6日読了)
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○『破天荒力』 松沢成文著(2007年6月5日読了)
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○『武士道』 津本陽著(2007年5月28日読了)
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○『正義のミカタ』 本多孝好著(2007年6月4日読了)
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○『地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか』 田中優著(2007年6月1日読了)
では今回の地球温暖化は、どうなのだろう。その脅威のスケールや、いかに。 オイルショックや化学汚染の程度であってくれれば、よいのですが・・・・・・・・・・ |
○『異次元は存在する』 リサ・ランドール + 若田光一 著(2007年5月31日読了)
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○『合理的とはどういうことか』 岡部勉著(2007年5月30日読了)
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○『ざっくばらん 「ブラウンさん、バイオ燃料は「救世主」ですか?」』 朝日新聞記事(2007年5月29日読了)
何か、日本も取り組みをできないものでしょうか。例えば、交通渋滞。交通機関や物流の車輌ならともかく、 平日人ひとりを乗せて走る車輌は、エネルギー消費効率や二酸化炭素排出量から考えていかがなものでしょうか。 人ひとりの車輌がなくなるだけで、交通渋滞も二酸化炭素排出量も相当に緩和されるのではないでしょうか (元来、モータースポーツ好きの僕がいうのもなんですが・・・。といって、東本昌平さんが『CB感』で描く近未来統制下環境社会、 っていうのもちょっと困りものです・・・)。 |
○『非言語コミュニケーション』 マジョリー・F・ヴァーガス著(石丸正訳)(2007年5月23日読了)
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○『「天才」の育て方』 五島節著(2007年5月22日読了)
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○『秘花』 瀬戸内寂聴著(2007年5月21日読了)
つい最近、ここで世阿弥のことを書いていたこともあり、この新刊本が出るのを知り、即刻読んでみました。 ここで描かれた世阿弥の「能」を、「研究」や「剣道」に置き換えも、あるいは他の職業のプロとしての職能に置き換えても、 「技」を求道する者の立場や心構えは、すべてに同じ。世阿弥の『花伝書』(正しくは『風姿花伝』)をもう一度、 今の自分の時分に照らし合わせて、読み直そうと思いました。 |
○『フューチャリスト宣言』 梅田望夫・茂木健一郎著(2007年5月17日読了)
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○『象の背中』 秋元康著(2007年5月13日読了)
それにしても、作詞、脚本、小説、エッセイ等々で遺憾なく才能を発揮され、 人たらし道(もちろん賞賛・畏敬の念をもって、ですよ)を極めたる秋元先生ゆえの、 人生の機微に正鵠を射た言葉は、いずれも圧巻でした。 どうやら「天」は気に入った御仁には、一物もニ物もお与え召されるのでしょう。 それが世の中、それこそが収穫逓増、かな。 |
○『アースダイバー』 中沢新一著(2007年5月12日読了)
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○『神はテーブルクロス』 須藤元気著(2007年5月11日読了)
須藤さんは僕の中の、“一緒に飲みに行って、オールで語り明かしてみたい”有名芸能人No.1ですので、機会があれば、是非よろしく。 今後とも須藤さんのいいところは、どしどしと吸収させて頂きます。 僕も須藤さんの真似をして、もしも大学からサバティカルをもらったら、お遍路さんしよっかなぁー(ちょっと、難しいか・・・)。 |
○『Opinion 宮本哲也』 朝日新聞記事(2007年5月10日読了)
人が育つには時間のかかることを、時間をかけなければならないことを、 社会が善しと認められるかどうか、でしょうか。 追記:こういう世情の中で教える者のあはれ、いかにか。 「そこここの はるかひそかな ことわりを きめならふとは いとどかなしき」三郎太郎磯右衛門眞臣作(2007年6月14日おつけ) |
○『セミたちと温暖化』 日高敏隆著(2007年5月9日読了)
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○『脱温暖化社会へ 3』 朝日新聞記事(2007年5月7日読了)
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○『星新一 1001話をつくった人』 最相葉月著(2007年5月7日読了)
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○『情熱大陸 二宮和也』(2007年5月6日放映)
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○『算数少女』 遠藤寛子著(2007年5月6日読了)
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○『夢をかなえる勝負力!』 瀬川晶司著(2007年5月3日読了)
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○『ノーベル・ドラマ賞(『化学と工業』5月号 p.543)』 多羅尾番外著(2007年5月2日読了)
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○『剣と禅のこころ』 佐江衆一著(2007年5月2日読了)
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○『百年の孤独』 G・ガルシア=マルケス著(2007年5月2日読了)
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○『鹿男あをによし』 万城目学著(2007年5月1日読了)
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○『藤沢周平に学ぶ』 月刊『望星』編集部・編(2007年4月27日読了)
追記:藤沢周平ワールドに近い精神世界を描いた曲を、最近見つけました。それは、中孝介さんの歌う薩摩焼酎・さつま白波のCMソング『花』です。 深手を負った手負いの侍や市井の人々。しかし、藤沢周平はその侍の心の中に「花」を描くことができたから、 物語がどんなに暗澹たるものでも、作品の中には通奏低音のような爽快さが目立たずに必ず流れている、と。そう思います。(5月7日おつけ) |
○『賢者はかく語りき』 齋藤孝著(2007年4月25日読了)
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○『チェーザレ 第3巻』 惣領冬実著(2007年4月24日読了)
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○『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』 新潮社編(2007年4月23日読了)
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○『ミクロコスモス(T・U)』 中沢新一著(2007年4月22日読了)
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○『なぜ日本人は劣化したか』 香山リカ著(2007年4月20日読了)
先生:「君たち、何のために大学に来て勉強するのかね?」 我々学生:「・・・?」 先生:「それは、教養を身につけるため、ですかな」 我々学生:「・・・?」 先生:「じゃ、どうして教養を身につける必要があるのかね?」 我々学生:「・・・?」 先生:「それは、人、自然、文化、社会、思想、イデオロギー、コスモロジー、立場、好き嫌いなどに見られる自分と異なるものに対して理解し、 寛容にあるための方法を得るため、またはそれらに対する想像力を持ちうるため、ですかな」 私:「・・・?、・・・!!」 今でも、この言葉を信じて曲りなりにも勉強を続けています。しかし一方で、 「勉強をすればするほど、何だか不寛容(=おばかさん)になってはしないか」と疑いたくなる自分もあります。 そんなバナナ! ファウスト先生、それでは私、悪魔に魂を売り渡しちゃった輩のようなものですぜ・・・。もとい。 寛容性の消失した社会、あそびのない機械。なんだか、どちらも耳障りで嫌な音を立てて壊れそうです。 |
○『物理学者、ゴミと闘う』 広瀬立成著(2007年4月20日読了)
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○『ハンニバル・ライジング(上・下)』 トマス・ハリス著(2007年4月19日読了)
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○『思考の整理学』 外山滋比古著(2007年4月18日読了)
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○『後手という生き方』 瀬川晶司著(2007年4月14日読了)
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