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過去の最近ブログ集


教員:實方 真臣 (Masaomi SANEKATA) 博士(理学)
東京工芸大学工学部准教授/PI

最近(2023.6.8):
10号館の裏手、15号館との間の通路脇の植え込みからひょこり頭を出している姿・色ともにとてもきれいな蛇を見かけました。体長1mほどの青大将でした。「この厚木キャンパス(飯山)はまだまだ自然豊か」ということですね(その後、用務の方に蛇の話をしたら「このキャンパスが山だった頃には、まむしも結構いたんだよ」と)。また、古来より日本では蛇は家屋敷とその土地の守り神であり縁起ものと云われておりますので、まさに眼福に預かれたことになります。 それにしても、間近で見た蛇の目はつぶらでとてもかわいかったし、久しぶりに生で見た蛇の動きは「するするする〜」と非常に滑らかで、人間がこの動きを蛇型ロボットとして再現できるようになるのは「まだまだ先の話だろうな」とも感じました。 最後に、当研究室の守り神として奉りたもうため厚木キャンパスの青大将くんの写真を掲載させて頂こうと思います(柏手パンパン、一礼)。


最近(2023.3.14):
10号館と学生支援センターの前のこぶしが、白いきれいな花を咲かせ始めました(4分咲きくらいでしょうか)。下から見上げればまだ空が透けて見えますが、もう少しして満開になったら敬愛する漱石先生の「木蓮の花ばかりなる空をみる」という春の一句のように、満開のこぶしの花で空が見えなくなるのでしょうね(残念ながら、いまだに自分にはこぶしと木蓮の花の区別がつきません。笑)。
漱石先生といえば中学生の頃、夢中になって読んだことを思い出します。『坊ちゃん』を読んでは主人公の無鉄砲さに共感し、『吾輩は猫である』からユーモアと諧謔精神を学びました。また、『草枕』の冒頭にある「智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だ」ほど人の世の処世の妙をいい得た言葉はないだろうに、とこの一節は深く心に刻まれました。 第一次世界大戦、スペイン風邪、そして世界大恐慌前夜に当たる100年ちょっと前、ちょうどコロナ感染、ウクライナ戦争など世界史に残るであろう一大事が次々と起こる今日と少し似た時代に生きた漱石先生がもし今生きていたら、現在のこの世相をペンの力でどのように裁断するのでしょうね。『吾輩はAIである名前はまだない』なんてタイトルの小説で、きっとAIの目を通して見える人間の愚かさや滑稽さを存分に描いてくれることでしょうに・・・。

最近(2022.12.12):
先々週の金曜日に発熱、コロナ陽性となってから本日10日ぶりに研究室に復帰しました。 自分の場合、コロナ感染は思ってた以上に大病でした。発熱して2日間39℃後半(最高39.8℃)の高熱が続き、アセトアミノフェン系の解熱剤もほとんど効きませんでした(まさに「なすすべなし」)。 食欲はほとんどないけれど、体の管制塔である脳にエネルギーと水分を補給するため、ミカン(三ケ日みかん)を食べ、点滴と同じブドウ糖を含むヤクルトを飲んで凌ぎました。 あとは、過度な発熱から脳を守るために原始的ではありますが大きめの氷枕(3つは欲しいところ)です。これらで40℃近い高熱に太刀打ちし、何とか生還できました(古典落語「死神」でいうところの自分の蝋燭には、 まだ炎の先に蝋燭の足が残っていた、という訳です)。3日目には38℃台中盤に、4日目には37℃台に。しかし、ここで嗅覚障害、味覚障害が出始めました。5日目には平熱に戻り、 6日目から再び37℃前後の微熱が続き、9日目には陰性の検査結果が届くも微熱と味覚・嗅覚の障害が残る。そして10日目、本日職場復帰を果たす(今日は今日で新たに少し頭痛が・・・。 ウィルスの死骸による軽微な血栓形成か?)。おそらく最初の39℃後半の高熱が続いた2日間における免疫系とウイルスとの全面戦争で、戦いの前線となった自分の全身の粘膜系は焦土と化したようです。 味覚や嗅覚はやられ、喉や気管支や肺もやられ、階段を少し上っただけで「ぜーはー」し、また水を飲んでもなかなか吸収しないお腹。 いわばウィルスが焼夷弾で攻めてくるのを、免疫系が火炎放射(サイトカイン)で迎え撃つような火力と火力の戦いであった訳ですから、戦い済んで私の粘膜系は徹底的な焼け野原です。 しかし、そこは人体の底力、戦後復興と同様に、破壊と再生です。傷ついた組織を再生すべく、今私の体は急ピッチで修復作業を行っています。 それが一旦平熱に戻った後に出始めた微熱の正体と思われます。感染前のスペックに戻るための組織修復には、おそらく3か月を要するでしょう。 たくましくコロナ感染を生きのびた私の体よ、もうひと声ファイトー!
(追記:2022.12.15)今朝、ようやくお味噌汁(味噌といえば愛知県岡崎の八丁味噌!)のうま味を味わうことができました。 発熱から丁度2週間で、塩味→甘味→辛味,(酸味)→うま味の順に味覚が復活(獲得)しました。塩味から最初に復活したのは、我々陸上生物がしょっぱい大海原を母とし進化してきたことと何か関係しているのでしょうか?!  また、うま味の知覚が最後となったのは、アミノ酸からなる日本の出汁文化がいかに繊細であり、また大人になってから分かる成熟した味付けであることを暗に裏付けているような気がします。 しかし、嗅覚に関しては、このひどい鼻声が治るまでは、まだしばらく鈍感なままなんでしょうね。笑
(追記:2023.3.13)最近、ふと以前より納豆の味があまり感じられていないことに気づきました。味覚の後遺症がまだ尾を引いているのかもしれません。怖い怖い・・・。
(追記:2023.10.11)今朝、ようやく納豆の旨味を味わうことができました。ただし食べ方にちょっとしたコツがいるようです。たれと納豆をかき混ぜてからごはんに乗せて食べるとたれの味しかしないのに(昨朝)、納豆だけをかき混ぜてからごはんに乗せ、そこにタレをかけてから食べたら、 しっかり納豆と納豆の糸の本来の旨味を感じることができました。タレをあとからかけることで、納豆にかかるタレの分量自体が少なくなるので、タレの塩味が薄くなった分、納豆の味が分かるようになった、ということだと思います。結局のところ、旨味を感じる味覚の感覚は、塩分を感じる味覚よりコロナ感染から1年近く経った今もまだ弱いまま、微弱に味覚障害が残り続けているということです。逆に、これをいい意味で捉えるなら「自然免疫が体内で有効に効いている」ことの表れなのかもしれませんね。
(追記:2023.10.20)前回、自然免疫が有効に効いているからまだ納豆に対する味覚が完全復活していない、と直感的なことを何気に書いていましたが、免疫作用のベースとなる抗原抗体反応が幾何学的な鍵と鍵穴の一致にあることから考えてみれば、 旨味(アミノ酸)を知覚する味覚受容体の鍵穴構造が、もしコロナウィルスの表面突起を形成するタンパク質の鍵穴構造とよく似ていたら、免疫のもつ鍵構造は旨味の味覚受容体を鍵穴を塞いでしまうことになるので、コロナウィルスに対する自然免疫の存在によって旨味を感じられなくなることは十分に起こりえることだと思いました(如何でしょう、疫学・分子生物学の先生方)。コロナ発症から発熱が収まりはじめ治りかけた頃に味覚障害が起こり始めるのも、体内で自然免疫数がコロナウィルス数を勝りはじめることで、余剰数が味覚受容体をキャップし始めると考えると、コロナ発症から味覚障害発症までのタイムラグも説明できるような気がします。あくまでの素人の見解に過ぎませんが・・・。

最近(2022.10.24):
厚木キャンパスの北側には、清川村に通じる小鮎川が流れ、その川に沿って恐らく10町歩はあろうかと思われる広大な田が広がっています。秋には頭をたれた穂の稲刈りの風景を10号館5階の外階段から眺めることができます。 小鮎川を龍に例えるならば、川に沿って吹き昇る風が稲穂を揺る様は、まるで舞い踊る龍のごとく見えるような気がします。10月も終わろうとしている今はもう稲はすっかり刈り取られて、少し寂しげなまだら模様の刈田となっています。
青々と稲穂を実らせている田の風景に触発され、「鎌倉殿の13人」で今年流行りの鎌倉を約1000年前に訪れたご先祖様がそんな風景を見て詠んだ和歌をふと思い出しました。
「たみもまた にぎわいにけり あきのたの
          かりておさむる かまくらのさと」
自分はこれを飯山の収穫の秋になぞらえ、以下のようにもじって詠んでみました。
「かわかぜや おどるいなほに まふりゅうじん
          かりておさむる いいやまのさと」
       下の句拝借仕り候 太三郎庄真臣(2022.10.24)

最近(2022.6.11):
剣道の愉楽のひとつは、稽古後に面を外したときに感じるあのたまらない開放感・爽快感にあるのかもしれません(初夏から夏にかけては特に!)。 またこの時期、たっぷりと汗を吸った胴着で道場の外に出たときに感じるあの心地のよい風は、正岡子規の句「六月を綺麗な風の吹くことよ」そのものです。 自分はこれをもじって、稽古後の超絶爽快さを「剣道を綺麗な汗の流(る)ることよ」と作句してみました。字余り。残念! また、工芸大を引退された川畑先生がよく「(人は)歳とともに花、鳥、風、月の順に気になるようになるものですよ」と言っておられたのを思い出します。 草花を愛で風の妙を感じ、ようやく自分も年齢並みに風情を味わい風流を解せるようになってきたのかもしれません。 そして、「風」の次は、いよいよ「月」です。「 身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」。ごく自然に「月」を愛でられるような老境に至るまで、両親から授かったこの頑健な体を存分に使い切るためには、 子規の句を教えてくれた父・虚空庵鈴雀(日本三曲協会元参与、琴古流協会元理事:本学情報コース森山先生の慶應義塾大時代の研究室の先生は、私の父をよく知る同じ流派の同門だったのです。世間って狭いのですね。 まさに「六次の隔たり」を実感です。汗)から子供時分に「月に叢雲、花に嵐」、「好事魔多し」、「勝って兜の緒を締めよ」とよく戒められたように、 自分の体の頑健さに胡坐をかくことなく、ときに剣道で息が上がるくらい体を追い込みながらも、(寄る年波には勝てず少しずつガタの出始めた)この体をしっかり労わることも怠ってはならないな、 と改めて思うこの頃であります。蛇足ですが、自分的には花・鳥・風・酒・月って感じですかね。酒! そりゃ無論日本酒ですが、何か。笑

最近(2022.4.3):
気のせいかもしれませんが、今年の桜盛りをやけに短く感じました。キャンパスや公園に咲く満開の桜も美しいのですが、春霞の中、遠い小山の山肌の緑の絨毯に、ぽつりぽつりと白や薄紅色の山桜が点在する風景もまた、印象派の絵画のように美しいものです。通勤の途、車窓から見えるそんな美しい風景のまじろぎに「はッ!」として、和歌を詠んでみることに。
かさねしくかすむ山はだのどけくも久しからずや山さくら花
             (凡作一首、太三郎庄真臣拝)

最近(2022.1.26):
お正月恒例の元旦稽古で、今年人生初のぎっくり腰をやってしまいました。椎間板の積年の摩耗と損傷の痕跡を、レントゲン写真の随所に見ることができました。レントゲン写真は正直です。年齢をごまかせません。笑  最近、肚腰の強化鍛錬のため四股を踏み始めました。コロナ感染予防の対策を万全に、品位ある上級者の剣道に近づけるべく、今年も稽古に(無論、研究・教育にも)励みたいと思います!

最近(2020.12.1):
新型コロナでGW中に行われるはずだった五段審査が中止となり、半年遅れとなった審査会で無事、五段に合格させて頂きました。 コロナ禍で十分な稽古を望めない状況下だったからこそ、自分は今回の審査を通じて素振りや日本剣道形などの地味な一人稽古の大切さを実感することができました。 これからまた5年間の長い修養期間に入りますが、地道にコツコツと一人稽古を怠らず、審査資格を得る2025年の六段審査(次から会場は全国区です!)に備えたいと思います。 コロナ禍を押して一緒に稽古して下さった師と剣友の方々、そして何より、当初受審する気のなかった自分を励まし、段審査に誘って下さった道場の剣友・折戸社長さんには改めて感謝致します。このご恩は、稽古でお返しさせて頂きたいと思います。今後とも、切磋琢磨のほどよろしくお願いいたします。

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