マラソンのススメ


)マラソンのススメ
 「走る」歴史は動物たちとの共存からはじまります。動物たちは,生きるために他の動物を追いかけ,そして逃げるというランニングです。人もそれら動物を追いかけて食物にしてきました。こうした食物連鎖の中でのランニングは,生きていくためのランニングであり,スポーツの文化とは言いにくい面があります。やがて多くの文化が萌芽する中で,生活のためのランニングから文化としてのランニングに変わっていきます。その成長をみてみましょう。

 古代ギリシャの時代になると,走ることに見出された人々が古代オリンピックの中で懸命に走り出します。古代ローマの時代では「ランニングは敗走のトレーニング」とする思想もあり,人々の間から走る文化が消えていきました。17世紀の中期になると,再びランニングが注目を集めます。しかし,実は賭のためにランナーが走ったという不遇の時代でもありました。やがてくる近代オリンピックには,マラトンの戦いにちなんだプログラムが加えられ,「マラソン」というレースが産声を上げたのです。

 この第1回近代オリンピックのマラソンでは,こんなエピソードから走る魅力が伝わります。優勝はギリシャの羊飼い兼郵便局員のルイス選手です。彼がパナシナイコ競技場に帰ってきた時,興奮したギリシャの皇太子が競技場の中に飛び入り一緒に走りました。スタンドでこの様子を見ていたボストン体育協会会長は,翌年の独立記念日にボストンマラソンをスタートさせました。このようにオリンピックの一種目に止まらず,「走る」裾野は広がりを見せたのです。

 人生という歴史の中でも,ランニングが存在しているように思えます。幼児期の子どもはうれしい時に走り出します。もう少し大きくなると,いつまででも遊び(走り)続けます。しかし体力が充実する青年期には,体力のありがたさを感じることもなく,また走る意味を見いだせないまま動かない生活をする若者が増えてしまいます。やがてある年齢になり自分を振り返った時,子どもの頃以来の走りたい欲求に駆られて走り出すのです。
 先日の講義で,こんなテーマで学生たちに語りかけました。そのテーマとは

なぜ,人は走るのか?

 考えてみると,とても難しいテーマに思えてきます。なぜって,それは答えがないからです。学生たちからのレポートを読むと,最後の感想に「走ってみたくなった」「走ってみるのもいいかも知れない」と書き綴ってあります。彼らは,なぜ走りたくなったのか! 人は,さまざまな理由を持って走り出します。一つ一つの理由すべてが正解なのです。人はなぜ走るのか,あえて答えを言葉にするなら

「走るあなたが知っている!」。

)感受性を取り戻せ!

 動物の中で優秀なランナーといえば,シカやカンガルーがその代表です。20世紀でも,それら動物を2日間追いかけ続け,疲れたところを狩りした民族が存在したそうです。人には,ランナーとしての資質が備わっていた証と言えるのです。
 この民族も同様に,もともとシューズなど無い時代には裸足で大地を走っていました。当然走った地面はアスファルトでなく,土であったはずです。この頃は足の裏で地面が熱いだ硬いだ柔らかいだと知り,さらには大地のエネルギーを感じたに違いありません。つまり足の裏から感受性を高めていったのです。現在の私たちの生活をみてみると,アスファルトに覆われたところが多く,ランナーもその上を走ることになります。本来エネルギーを感じる生の大地からは,アスファルトによって遠ざかったところにいます。これでは,どうしても感受性が低下してしまいます。
 もともと持っていたランナーとしての資質,本能を呼び戻すにはどうしたらよいのでしょう。方法の一つが,自然の中を走ることです。人工ではない自然の中で“何か”を感じること,これこそが感受性を高めることにつながるのです。身の回りのコースで,わずかであっても自然が存在している場所があるはずです。その自然の中を,気持ちの向くままに走ってみませんか?

)スポーツ音痴でも大丈夫、だから「走」にチャレンジ!

 野球やサッカー,テニスにバスケットボールなど,世間には楽しいスポーツがたくさんあります(もちろんランニングもその一つなのですが・・・)。たしかに仲間とワイワイ遊べて,さらに手軽であれば面白いこと間違いありません。しかしそうしたスポーツ,ある程度のテクニックが必要だったり,仲間同士で技量差があると全員が楽しめるわけではありません。上手にできないから,スポーツが嫌い,なんて読者もいるのではないでしょうか。
 上手にできる能力,これはどんな能力か。よく「運動神経」なる言葉を使ったりします。一般に言う運動神経とは,スポーツが器用に何でも出来る人を指しているようです。この能力を持っている人は,すでに(走ること含め)自分に合った生涯スポーツを持っていることでしょう。では,運動神経を持っていない人は? 大丈夫,走る世界が待っています。
 走ることや歩くことは,日常生活の中で誰もが経験していることです。日常生活の延長で一歩踏み出すことができる,とても気楽なスポーツです。走る扉を開かない人たちは「ただ走っているだけ」「単純で面白くない」と思うかも知れません。私の授業に訪れる学生の声は,走ることなんて「かったるい」。
 たしかに単純な動作を繰り返すランニングですが,かっこよく走ろうと思ってかけ出す人はどれほどいるでしょうか。かっこよく,スマートに・・・,と考えれば考えるほど,ランニングはややこしくなります。しかし,ここで考えたいことが一つあります。

「あなたは,速く走りますか? それとも上手に走りますか?」。

スキーでもテニスでも,まずはフォームを身につけます。しかしランニングは日常生活の延長ですから,良いフォームなんて考えることなどないでしょう。速く走ることは,若くて能力があるランナーに任せておきましょう。速く走らなくても上手に走ったりきれいに走ったり,こうしたランナーになっていくことも素晴らしきことなのです。

)走るのが一番、ストレスを吹き飛ばせ

 子どもたちが関わる悲しい事件で思うことがあります。その背景は? 多くの専門家がコメントを寄せます。しかし,なぜか釈然としないものを感じてしまうのは私だけでしょうか。私たちの子どもの頃から思えば,現在の子どもたちの生活様式は大きな変化をしました。たとえば,遊び。遊びの多くが身体活動を伴い,その中で知恵を身につけていった気がするのです。しかし,今の子どもたちの知恵のつけ所はどこにあるのでしょうか。テレビゲーム? パソコン? その根元は,もしかしたら私たち大人なのかも知れません。子どもの生活よりも,大人の私たちの生活の方が大きな変化をしており,その背中を子どもたちが見ているのです。
 大人の私たちは今,どれだけのからだを動かしているのでしょうか。身体活動を通して,何を感じ,何を得ているのでしょうか。私たちが動かない以上,子どもたちが動くはずもありません。
 動くことで感じることはたくさんあります。汗をかいて気持ちよかったり,筋肉が躍動する息吹を感じとったり・・・。その反対に,感じなくなることもあります。それがストレス。つまり,ストレスが解消されたりするのです。
 「心地よい」から「ややきつい」と感じる速さで60分走ってもらった前後で,心理状態を表すテストを行いました。その中で,特徴的な例をみてみましょう。ストレスを感じるような因子が5項目ありますが,走る前はすべてが高い状態です。しかも活動性が低く,走ることさえかったるいと感じているようです。ところが走ったあとは活動性が高くなり,ストレスを感じる因子すべてが低下していました。このように,適した速度のランニングを行えばストレスが解消し,バイタリティも向上するのです。
 上手にランニングとつき合うことは,心もからだも喜びます。その喜びは,本能の喜びかも知れません。からだの中にたまっているストレス,汗をいっしょに吹き飛ばしてみましょう。

)マラソンは長生きの秘訣です
 日本の長寿は,世界でも1,2位を争うほどです。せっかく長生きするのなら,いつまでも活動的でいたいものです。
 人は何歳まで走ることができるのでしょうか。アメリカでは,98歳のおじいさんが7時間33分0秒で完走し,日本では85歳のおじいさんが10時間54分31秒で完走しています(富山大・山地教授の「マラソンの科学」より)。この体力は,すごい! 走ろうとする気持ちがあれば,いくつになってもマラソンを走ることができるのです。
 ところで,紹介したいのがこのデータ。ハーバード大学の卒業生を対象にした調査は,一日3.2km以上歩いている人は,一日0?16kmしか歩かない人に比べて死亡率が半分以下です。つまり歩く量が多い人ほど長生きしているのです。走ることは,歩くことと同じ有酸素運動です。適度なペースを守っていれば,寿命が延び,元気な生活が送れるはずです。
 さて,走っている人たちは若く見えませんか? そうです,ランナーはなぜか若く見える人たちが多いようです。多くの理由が考えられ,さまざまな要因が重なり合って若く見えるのでしょう。若く見える理由を,一つの因子から考えてみましょう。
 適したペースで走っていると,だんだん脳が喜びを増して“ランニング・ハイ”という状態になります。これは,脳内でモルヒネに似た効果を与えるβエンドルフィンが分泌されることによります。このβエンドルフィン,ストレスや痛みなどを減らし,快感を与えてくれます。実は,これが若さを保つ秘訣のようです。脳が一つのキーワードとするならば,ランニングは体だけでなく脳が喜ぶのですから若さを保つのは当然かも知れませんね。